札幌通、開拓使通、ケプロン通と呼ばれた
ヒストリーロード「北3条通り」

2019.05.15

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札幌の歴史を語る上で、欠かせない存在「北3条通り」

北3条通りは、北海道庁正門からJR苗穂駅前までの約2kmの道を指し、明治初期の開拓使時代には「札幌通」と呼ばれていました。当時はそのほか、通称「開拓使通」や「ケプロン通」とも呼ばれていたそうで、いかに人々から親しまれてきたのかがうかがえます。

▲「ケプロン通」の由来となったホーレス・ケプロンはは、明治4年に開拓使顧問として来日した北海道開拓の父。<出展:『黒田清隆とホーレス・ケプロン 北海道開拓の二大恩人−その生涯と業績』>

北3条通りを中心としたまちづくりの歴史は古く、通り沿いには、札幌農学校(北大の前身)や開拓使の官営工場、札幌初の総合病院などさまざまな施設が建てられ、大正期には市電も走るなど、メインストリートとして栄えた重要な通りでした。

▲観光スポットとして有名な時計台は、札幌農学校の演舞場。

 

北3条通りには現在も開拓使時代の歴史的遺産がたくさん残っていて、札幌のなかでもノスタルジックな通りでもあります。札幌開拓使麦酒醸造所(のちのサッポロビール)跡を活かしたショッピングセンター「サッポロファクトリー」や、隣にある「旧永山武四郎邸」など明治期の建物が現代に蘇り、市民に親しまれています。

▲旧永山武四郎邸は、第二代北海道庁長官を務めた永山武四郎の私邸。

歴史的遺産と新時代の融合、北三条通の新ネーミングを

平成26年、北3条通りがはじまる北海道庁正門前の改修に伴い、イベントを中心とした多目的広場「北3条広場(通称アカプラ)」がオープンしました。

▲北3条広場(通称アカプラ)。道沿いにはイチョウが植えられている。

北3条広場の両サイドには、多くの飲食店やファッションテナントが入った高層ビルがあり、市民や観光客の新たなショッピング・グルメスポットとして賑わっています。

▲北3条通りのはじまりである道庁正門前は、札幌で初めての舗装道。<札幌市公文書館蔵>

明治、大正、昭和、平成、そして令和へと札幌の歴史を刻み続けてきた「北3条通り」。札幌のメインストリートとして、新たな時代にふさわしい「通り名」があっても、おもしろいかもしれません。

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