札幌市がん対策普及啓発キャンペーン事業
「がん」について知ろう
がんサバイバーによるトークショー開催

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10月10日(月・祝)サンピアザ 光の広場にて、
乳がん体験者である、元SKE48の矢方美紀さん、HTB社員の阿久津友紀さんを迎え、トークショーを開催いたしました。

前回の記事(矢方美紀さんのトークショー)もご覧ください。

「がん」について知ろう ~がんサバイバーによるトークショー~矢方美紀さんの場合

第2部は、MCの黒部さんの進行で、3名のクロストークショーを開催しました。

クロストーク編1はこちら

「がん」について知ろう ~がんサバイバーによるトークショー~ クロストーク編1

辛い治療をしながら、体調不良に対策をして日常生活を過ごしている

黒部 「現在の体調ですが、どんな感じですか?」

矢方 「今は特に引っかかる場所だったり再検査させてくださいとか再発してるっていうのはないんですけど、ホルモン療法という治療は、10年間続くんですよね。私は他に10年間何か継続したことってあるかな、と思っていて、今までにないぐらい同じことを続けています。1日1錠だけお薬を服用するんですけど、それがめちゃくちゃいやなんですよね。薬を飲み続けることによって更年期障害のような状態が常に起きてしまったりする。
例えば、昨日北海道について寒いんだろうなって思って、ずっと服装探してたんですよ。実際に来てみたら、東京にいるような薄着で良くて。薄着でいれる、っていうのもすごい不思議なんですけど、それは多分、ホットフラッシュで、体温が上がっていて、着てると暑くて汗が止まらないってことが起きるんですよね。それが結構今もずっと起きているので、ちょうど保たれて、プラスに動くこともあるんですけど、それが夏場になってくるとなんかすごいイライラに変わってしまったりします。
あとは例えば、女性の体の冷やさないようにホットを飲んだ方がいいと言われているじゃないですか。私は、逆に体調が悪くなってしまうので、真冬でも氷ガンガン入れた冷たいお茶を飲まないとだめだったりするので、そういう体内のメンテナンスの面でもコントロールが難しいですね。」

黒部 「体温調整含めて味覚障害も出てきたということですが、冷たいものが好きだったり、食べ物とかが変わったとかそういうのは?」

矢方 「抗がん剤を投与するときに、アセロラジュースみたいな色なんですよね。そのアセロラジュースに似てるっていう印象がすごく植え付けられちゃって。当時アセロラジュースが飲めなくなっちゃいました。毎回抗がん剤が大嫌いだったので、フラッシュバックしちゃいます。」

黒部 「計り知れないものがありますよね…」

阿久津 「自分の中では進んでるんですよ。なのでどこまで辛かったのかっていうのは、 結構忘れてっているんですよね。忘れていった方がこのあと生きやすいかなと思っているので。
それでも、先ほど美紀さんがおっしゃっていたように、私もマスクの中は汗だくですし、その前にちょっと震えるっていうかですね、コールドフラッシュというかちょっと1回ブルッと寒くなるんですよね。それから熱くなってきて、頭皮のところも含めて熱が回ってるなぁ、みたいな感じになる時がよくあります。
それでもカーディガンを持っていったり、お水を常温と冷たいのを持って行ったり、ちょっと冷たい感覚がする飴を持って行ったり、みなさんそれぞれ工夫をして折り合いをつけて日常生活を過ごされているのかな、と思います。」

がんサバイバーだからって特別視は無用、普段通りに接してほしい

黒部 「私が勝手に思うことなんですが、きっとお2人とも、自分自身の調整って常にしていらっしゃると思うんですが、例えば周りから近しい方に「大丈夫?」とか、「こういうのがいいんじゃない?」とか、「無理するんじゃないよ」って言われるよりは、それをそんなに気づかれないように「大丈夫だよっ」って言っているようなイメージがあるんですがどうでしょうか」

矢方 「確かにそれはありますね。周りに言われる前に対策をどんどん作って。
もちろんその対策を作る中で失敗もたくさんあるんですけど。自分の中で処理をしてこれが合ってるなーっていうのをどんどん選んでいったっていうのもありますね。振り返ってみるとやっぱり大変だったな、ってこともたくさんありますね。」

黒部 「阿久津さんも日々調整をして周りには心配をかけないようにされているイメージがありますね。」

阿久津 「そうですね。実は10月6日に本をださせていただいて、その中で執筆した時に自分のは仕事をこういう風にしてきたというのは書いてきたわけですよ。そしたらそれを読んだ先輩から3年間気づかずにごめんってあやまられたんですよね。私も自分自身を全く気づかずに普通に仕事をしていたつもりだったんですけれども、周りから見るとあまりにも普通に仕事を3年間続けてくるから、そんなに大変な思いをしてるなんて思わなかったと。
それを本の中で書き記した中で、「普通にしていた方がよかったよね?」と言われ、確かに普通にしていただいたおかげで3年間何事もなくお仕事を続けられたっていうのがあるので、本当に普通通りに接してくれて、普通通りに転勤をして今東京にいるんですけど(笑)、転勤をさせてくれた会社には感謝してますし、そういう人がどんどん増えることで次の人への一歩を作っていくんじゃないかなっていうふうに思います。」

黒部 「そうですね。がんになったからどんな言葉をかけたらいいんだろう、とかね。皆さんは思ったことないですか?(会場に問う)
この人に何て言ったらいいんだろう、ということではないということですよね。そうじゃなくて、普通にしていいんですよね。普通にしてもらった方がいい、というふうに思っていいでしょうかね。」

矢方 「そうですね。がんになる前もそうだったんですけど、特別視されるのが本当に嫌で。お仕事してる時にプライベートで街を歩いているときも、「なんで変装しないの?」とか言われるんですけど、変装に何の意味があるんだ、と思い、そのまま出歩いたりしていました。
同じようにがん患者だからもっと助けるよ、とかではなくて、できることを自分でやりたいし、やった方がなんか喜びに変わることがありました。
声をかけるというのも、考えれば考えるほど、何て言ったらいいのか悩んでる友達もたくさんいたので、そういう時は、「普通に接してくれればいいよ」っていう言葉をかけて、「一緒にまたどっか行こうね」とか、「ごはんいこうね」とか話したら、その子もやっぱ楽になったみたいで、体に気を使うっていうことはあまりなくなりましたね。おかげで友達と何かをするってことが増えました。」

黒部 「特別視はされないほうがいい。こうやって直接聞けると、そうなんだなーというふうに思いますよね。」

重たいものや、人混みは傷に影響することは、わかってほしい

阿久津 「そうですよね。ですけどたまには気を使ってほしい~んですよ(笑)。重い荷物を持ってる時は「助けるよ」って。私、実は大学時代レスリング部におりましてですね、レスリングしてたんですよ。なので力で自信がありまして会社生活ずっと荷物を持ち続けて生きてきていて、今日も取材に来てくれているんですけど、カメラとか荷物とか普通に担いで歩いてたので、それが普通だから皆さん普通に戻った瞬間に、普通に荷物も全部持てるんじゃないかみたいなことをおっしゃるんです。でも体がぴきっとなったりとかね、そういうこともあると心配になるので、その時にはここで「助けにきてー」て思います。」

黒部 「私も母が乳がんを患っているのですごいわかります。本当に思い荷物が持てないというか、重くなくてもなるべく負荷のかかるものは持ちたくない、っていうのをよく言っているので。」

阿久津  「シートベルトなんですけど、両胸がないのでベルトがつっかからないので上にあがっちゃたりするんですよね。そういう時にクッションを中に当てていると、警察官の方に一回止められたことがあって、どうしました?と言われた時に、実は…と話したら、わかってくれましたが…」

黒部 「そういうこともあるんですね…」

阿久津 「そこも含めて、やっぱり理解をしてほしいというか。正面から人が来たり混んでる電車に乗るのもやっぱり違和感があったりします。美紀さんどうですか」

矢方 「手術をしてすぐぐらいの時に、朝の通勤ラッシュに乗った時、やっぱりいろんな方のこう背中とか、リュックが当たっちゃって、めちゃくちゃ激痛した時はありましたね。でも服来ているので、「こっち胸ないんです」とも言えなかったり、そういうのは難しいなと思ったりしました。」

黒部 「その激痛が走ったというのは今はもうないですか?」

矢方 「たまにでも痛みが走りますね。ほんとにごくたまに。痛くてふさぎ込んじゃったりするんですけど、今は頻繁に起こることはなくなりました。ただ1年目とか、雨の日とか、ちょっとこう寒い日とかに傷がうずいたりすることはしょっちゅうありましたね。」

特にAYA世代にもっと乳がんに関心を持ってほしい

黒部 「そういうのを聞くと、AYA世代のみなさんにもっと聞いてほしいですし、AYA世代の方に伝えるということはそこから発信力がありますよね。」

阿久津 「がんになる前から乳がん患者を取材していて、乳がんに関してはずっとアップデートさせてきたのがあるんですけど、今、美紀さんに対して「よくぞここに出てきてくれてありがとう」という気持ちでいっぱいです。
やはり先ほども、なかなか、がんの話をおうちでしないってことがありましたけど、がんの話ってしづらいし、私が、「がんです」って言うと、「もう何もできないんでしょう」とか、「もうこれでお仕事おやめになるんですよね」とか、みなさんの思い込みみたいなことがあって、そういったものをひとつずつアップデートできるというのは、やっぱり存在している人間が一歩でも前に出て、「私がいます!」ということを言うことが、わかっていただきやすいのかなっていうふうに思っていて、その中の存在として、すごく美紀さんは大きいなって思いますね。」

黒部 「そうですね、ずっと長く阿久津さんは取材をされて来られるので、若い世代の方の乳がんを患っている方も存在していますよね。」

阿久津 「40歳から検診ですけど、それよりも前に乳がんになられている方にもたくさんお会いしていますので、たしかに存在していると思います。」

黒部 「ですよね。美紀さんも現在のラジオの パーソナリティもされている中で、同じ病気を患っているリスナーからのお手紙ですとか、メールですとかそういったものもありますか?」

矢方  「以前、テレビの番組をしていて、自分がちょうど治療している際に、「初めて病院に行った時に、乳がんが分かった」という話があったり、同じ病院にたまたま待合室にいた方が、私の存在を知ってくれていて、そこから知り合いになったという女性がいたりしますね。また、今SNSが日本だけじゃなく、世界でつながることができるので、同じ20代で罹患したっていう乳がん患者っていうのはすごく友達として増えていきましたね。」

次回へつづく・・・

ゲストのご紹介

元SKE48 タレント 矢方 美紀さん

1992年6月29日 大分県生まれ。7年半所属したSKE48ではチームSのリーダーを務めた。2018年4月、25歳の時にステージ2Bの乳がんにより、左乳房全摘出・リンパ節切除の手術を受ける。「自身の体を知る」ことの重要性を伝えるとともに、がんになっても夢を諦めない、前向きに生きている姿を日々発信している。

現在は、テレビやラジオ出演・ナレーション・MC・講演会などの活動に加え、子どもの頃からの夢であった声優としての活動に力をいれ活動中。

オフィシャルブログ

NHK #乳がんダイアリー

HTB東京編成業務部長・SODANE編集長 阿久津 友紀さん

1995年 北海道テレビ(HTB)入社。制作・情報番組のディレクター・記者などを経験。長年ピンクリボン活動や乳がん患者取材がライフワーク。2019年に自らも両側乳がんにり患。HTBのWEBメディア「SODANE」やYouTubeなどで自らの乳がんと生きる姿を綴っている。10月に北海道新聞社から著書「おっぱい2つとってみた ~がんと生きる、働く、伝える」発売。厚生労働省  がん対策推進協議会  委員。

阿久津さんの記事 SODANE