10月10日(月・祝)サンピアザ 光の広場にて、
乳がん体験者である、元SKE48の矢方美紀さん、HTB社員の阿久津友紀さんを迎え、トークショーを開催いたしました。
前回の記事(矢方美紀さんのトークショー)もご覧ください。
第2部は、MCの黒部さんの進行で、3名のクロストークショーを開催しました。
阿久津さんの乳がんが見つかったきっかけは、会社の健康診断
黒部 「阿久津友紀さんにお越しいただきました。1995年に 北海道テレビHTBに入社。制作情報番組のディレクターや記者などを経験されて、ピンクリボンの活動や取材がライフワークだったということですが。」
阿久津 「ピンクリボンの活動の取材も20年くらいになるんですけれども、色々な乳がん患者に出会ったりしながら、その方から託された言葉みたいなものがありまして、活動を続けていたら私も乳がんと言われて…」
黒部 「20年間取材を続けてきたということは、だれよりも病気と向き合ってきたと思いますが、それでもご自身が患ってしまうということは、その時の心境というのはどういうものでしたでしょうか。」
阿久津 「誰にでもなる可能性のある病気なんだなと実感しています。実は父が自分が18歳のときにがんに罹患していて、その時本人はがんであることを知らないままで亡くなったんですね。その16年後に母が乳がんになりまして、いつかは自分に来るだろうと思っていましたが、会社の健康診断で見つかりました。」
黒部 「会社の健康診断で最初は見つかったのですね。会社の健康診断は定期的にされていると思うんですが、乳がん検診は何歳の時に検査できるのですか?」
阿久津 「国の指針として40歳以上は2年に1回、マンモグラフィーで検査を推奨しています。」
黒部 「じゃあ会社で定期的に検診を都度受けていたにも関わらずそれがわかったのが2019年。」
阿久津 「向いている検査と向いてない検査があるので、そこを含めて知っていただきたいなという気持ちです。やっぱり普段から自分の胸に関心を持っていただくブレスト・アウェアネスという言葉があって、自分の胸の調子が普通なのかどうかっていうところを触っていただいて、関心を持っていただくということが非常に大事だと思います。」
仕事を続けられるかの不安と、がんの公表がなかなかできなかったお二人
黒部 「矢方美紀さんもご自身でセルフチェックして気づいたということですよね。実際に皆さんも可能性はあるわけですが皆さん、セルフチェックしているよ、という方はいますか?(挙手を求める)そうやって言われるとしていないなー、と思う方もいらっしゃいますよね…美紀さんは、ご自身で気づいて、そしてそれは周りにも、先輩にも、相談されたというふうに伺いましたが。」
矢方 「そうですね、セルフチェックって場所によっては見つけづらいんですよね。柔らかいものもあって、すごく自分で判断するのは難しいんですけど、私の場合は石みたいに硬いしこりが表面に近い場所にできていたので気づけたんです。手術で取ると3.5cmぐらいなんですよ。3.5cmになるまで結構長い年月がかかるので、その長い年月全く気づかなかったってことが驚きました。」
黒部 「3.5㎝は大きいですよね…」
阿久津 「検診で見つかるよりも、実はセルフチェックなどでご自身で違和感を感じて見つかった方が多いので、それだけ検診の受診率が低いのですが、本当にご自身の胸に関心を持っていただきたいなと思いますね。」
黒部 「私も母が乳がん経験者なので、摘出、とっているんですよね。左側を。今日はどんなお話が聞けるのか楽しみにしていました。お仕事がかなりハードな中だったと思いますが、阿久津さんはどんな風に手術の準備をされたのでしょうか。」
阿久津 「そうですね、5月の末くらいに健康診断で乳がんとわかった後に、会社に伝えたのはもう7月に入っていたんです。そこまで言えなかったですね。面と向かって自分の手術がこの日で、こういう治療を受けて、こうなりますって伝えたのも今年の4月に入ってからなので。やっぱり自分自身が管理職だったのもあって、がんになったから続けられないとか、管理職ができないんじゃないかと思われるんじゃないか、と自分自身に思い込んでたんですよね。実際はそんなことは無くて、会社も非常にバックアップしてくれているし、理解があったんですけれどもやっぱり自分自身の思い込みが良くなかったなと思ってます。」
黒部 「体のことよりも仕事を優先しちゃってるわけじゃないんですが、どうしてもその準備ですとか色々と考えてしまったということですよね。」
阿久津 「どのタイミングで仕事に決着をつけるのが人に迷惑をかけないのか、っていうふうに乳がんを患う方は皆さんで頑張り屋さんでね、迷惑をかけちゃいけないんじゃないかって思っちゃうんです。会社にもいいづらかったんですけど、母にも手術の2か月後まで言えなかったです。」
黒部 「2ヶ月後まで!?」
阿久津 「はい。言えなかったんですよ。私は3年前に罹患した後に、自分でドキュメンタリー番組を作るために映像を回していたんですけども、実は母にはちゃんとその手術の前に伝えようと思ってカメラも抱えて(自宅に)置いていったんですよ。レコーダーもして。でも2ヶ月連続大失敗しちゃいました。ようやく言おうとしていた時に、母の方が強くて、攻められ怒られましたね。早く言いなさい!と。隠したってしょうがないでしょ!と言われてしまって。」
黒部 「美紀さんも、仕事の調整しなきゃいけないというのはあります?」
矢方 「最初がんがわかった一番最初の診断のときに、当時生放送のお仕事とかしていたので、さすがに、ちょっと1ヶ月で休んで病院を決めよう、と思いましたが、これ休んだらもう復帰できないなーっていう事も考えて悩んでしまいました。周りもまさかこの年で乳がんになると思ってなかったので、自分以上に周りがすごい驚いていて、仕事の方には伝えてるけど、逆に友達にどうやって伝えるのかをめちゃくちゃ悩みました。がんだったと伝えたら、皆さん自分以上の落ち込んでしまって、「え、どうなるの?」みたいな感じになってしまったので、私もまだ手術も受けてないし、これからだからよくわかんないけど大丈夫だよ、っていう言葉をかけましたね。」
やっぱり仕事を続けたい!治療と仕事の両立
黒部 「本当にそれぞれお二人は、お仕事のことがまず大事。とは言っても皆さん仕事じゃなくて体が第一ですよね。それはもう間違いないですよね。でも、なかなか病気のことだけを考えていられないですよね。」
阿久津 「美紀さん、病気のことだけを考えていると、気持ちが支えられなくなりませんか?」
矢方 「私も、病気だけだったら多分気持ち的にずっとドヨーンとしたまま過ごしてたと思います。」
阿久津 「そうですよね。なので私は入院する前の日まで仕事を続けていたんですけども、そこで私は明日からすいません乳がんになって手術します、といって皆さんを驚かせました。けど、乳がん患者さんでも働ける可能性があるし、戻れますよ、っていうことだったり、あとは自分が、がんになったからといって、がんにだけとらわれて生きたくないっていう思いがすごく強かったです。」
黒部 「わかります。」
阿久津 「その方が気が楽なんです。がん患者になったとたん治療法にとても悩むわけですよ。温存手術と言って一部だけをとるのか、全摘手術なのか、そのあと放射線を受けるのか、抗がん剤治療を先にするのか後にするのか、ホルモン治療するのかしないのかって いうのを全てその人によって違うわけです。私も美紀さんも治療法が違いますし、それも勉強しないといけないし、再建手術をするのかしないのか、を悩まないといけないのです。」
手術前日に決まった胸の再建手術中止…。日々進化する、医療情報を知ることの大切さ
黒部 「今、お話に出た、両胸再建手術。阿久津さんは手術の前日にダメになったんですよね。」
阿久津 「再建手術をしたくて、病院を転院して受けます!となっていて、ティッシュ・エキスパンダーというもので胸を膨らませてから後でシリコンのインプラントに入れ替える、というものだったのですが、それがアメリカで別のがんを誘発する可能性があるということで、自主回収になって、再建手術ができませんと言われました。そうなると、その場で手術方法を決めなければいけなったときは、泣くしかなかったですね…」
黒部 「今日になって入れられなくなった、なんて考えられない事ですよね。もう言葉が出ないですよ…」
阿久津 「とりあえず、命を長らえる作戦を考えてください、と。夫が後ろでカメラを回していたので、それでいいよね?と聞いたら、命が1日でも長いほうがいいです、と言ってくれたんです(涙)夫婦で一歩ずつ、選んで、今ここにいるんだなと思います。」
黒部 「その一部始終をお二人がそれぞれの形で記録に残されてるんですよね。この一つ全てを記録に残すことによって一人でも多くの方に早期発見をとにかくしてほしい、まずは検診に行こうということでそれをすべて残すっていうのはいかがでしたか?」
阿久津 「私の場合は21歳の女の子の取材をしてから多数の乳がん患者さんに会って、患者さんから言葉を託されてきたわけです。乳がん患者は生きづらいとか、多分今も皆さんそうかもしれないですけど、がんについて、お家でお話をする方っていらっしゃいますか?(挙手を求める)」
黒部 「どうでしょう、難しいですよね…」
阿久津 「難しいんですけど、した方が絶対いいと思う。私は、父親が自分がどうやって治療を受けるのか相談できなくて、がんだと知らないまま亡くなってしまったので、母の時はきちんと相談しようと思いました。母は、どうやって生きるのかというのを明確に伝えてくれたので、家族としてもきちんと治療法を悩んであげて、標準治療という方法ではあるんですけど、選択肢を考えてあげることができました。自分に降りかかったときにまた悩むときがあって、16年間の間に医療ってものすごい進化していて、その中から自分はどうするのが正解なのかを考えると、今は知識がないと、ジャッジもチョイスもできないんですよ。」
黒部 「本当にそう思います。美紀さんの発信は若い世代の方に、「えっ25歳でも乳がんになるのっ?」て誰もが本当に驚くと思うんですよね。でもその25歳という若さで見つかって、発信することも勇気がいったと思いますが、幅広い世代の方に届いてますよね。」
矢方 「自分ががんになったとき、一つも知識を持っていなかったので、ほんとに大変だったんですよね。お話しするときも、治療がわからないのでなんて答えればいいのかわからなくて、インタビューされた時も不安でした。でもいろいろな自分の病状がわかって、この治療をしなきゃいけないと思った時に、それをやることで、どういう副作用が出るのか、どれぐらいの自分の体がしんどくなっちゃうのか、外見に変化が現れてしまうのかを考えました。人によってお薬によっても症状が変わってくると思うんですが、自分はそれを経験できたっていうのは一つ人生においてすごく大きなことになったなって思います。もちろん辛かったですし、本当はやりたくないなっていう気持ちの方が強かったんですけど、標準治療を行って、標準治療ってなんでやらなきゃいけないのか、何が大切なのか、っていうのを知れた気がしますね。」
次回へつづく・・・
ゲストのご紹介
元SKE48 タレント 矢方 美紀さん
1992年6月29日 大分県生まれ。7年半所属したSKE48ではチームSのリーダーを務めた。2018年4月、25歳の時にステージ2Bの乳がんにより、左乳房全摘出・リンパ節切除の手術を受ける。「自身の体を知る」ことの重要性を伝えるとともに、がんになっても夢を諦めない、前向きに生きている姿を日々発信している。
現在は、テレビやラジオ出演・ナレーション・MC・講演会などの活動に加え、子どもの頃からの夢であった声優としての活動に力をいれ活動中。
HTB東京編成業務部長・SODANE編集長 阿久津 友紀さん
1995年 北海道テレビ(HTB)入社。制作・情報番組のディレクター・記者などを経験。長年ピンクリボン活動や乳がん患者取材がライフワーク。2019年に自らも両側乳がんにり患。HTBのWEBメディア「SODANE」やYouTubeなどで自らの乳がんと生きる姿を綴っている。10月に北海道新聞社から著書「おっぱい2つとってみた ~がんと生きる、働く、伝える」発売。厚生労働省 がん対策推進協議会 委員。
阿久津さんの記事 SODANE