札幌市がん対策普及啓発キャンペーン事業
「がん」について知ろう
がんサバイバーによるトークショー開催

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10月10日(月・祝)サンピアザ 光の広場にて、
乳がん体験者である、元SKE48の矢方美紀さん、HTB社員の阿久津友紀さんを迎え、トークショーを開催いたしました。

トークショーでの乳がん体験について、トークの内容をご紹介いたします。

まだ20代で乳がんだとわかった矢方さんは、どのようなことがきっかけで自分が乳がんだと知ったのか、その後の生き方、考え方に、特に若い方<AYA世代>は、共感するのではないかと思います。

ぜひ、他人事ではなく、自分事として、リアルな乳がん体験を読んでみてください。
(長いですが、できるだけトーク内容を詳しく書いております。矢方さんの生き方や気持ちの部分まで知っていただけると幸いです)

元SKE48 矢方美紀さんの場合

乳がんを調べたきっかけは「芸能人が乳がんで亡くなった」というニュース

私は、名古屋のアイドルグループSKE48に7年間所属して、2017年の冬に卒業しました。卒業した後も、引き続き芸能のお仕事を続けていましたが、その頃たまたまテレビのニュースで、「芸能人の方が乳がんで亡くなった」という報道を見ました。

それを見たとき、「まだ20代なので自分には関係ない」と思いましたが、よく病名を見てみると、「若年性乳がん」と報道されていました。

「若年性ってどういう事だろう?」と思い、ネットなどを調べていくと、20代でも乳がんになる可能性があることを知りました。当時25歳の時でした。

その後、乳がんはどういう病気で、どういう治療をしなくてはいけないのか、全く知識を持っていなかったので、興味本位もあって調べていくと、結構怖い病気だということを知ったと同時に、乳がん検診はもちろん、病院に行って定期的に健康診断をする事がなかった私は、だんだん自分はどうなのか、と心配になってきました。

そんな時、乳がんのセルフチェックがあることを知ります。

ネットでやり方を調べてやってみると、すぐに左の胸に【しこり】がありました。それは石みたいに硬いけど、触っても痛くありませんでした。

「なんかすごく硬いけど痛くないから大丈夫かな」と、最初は思っていました。ただ、乳がんのチェック項目の中に【しこり】というのもあったので、病院で見てもらった方がいいのかな、と思いながらも、年末で仕事が忙しくなり、だんだん病院へ行くのが延期になっていました。

そのうち、「痛くなってからで大丈夫かな」と、軽い気持ちで過ごす反面、しこりはなくならずにずっとあって、周りの先輩などに相談したら、「すぐに病院に行った方がいい」と勧められ、やっと乳腺外科の方で検査を受けることになります。

乳がんステージ1からステージ3へ

検診には親に言わずに一人でいきました。そして結果的に乳がんのステージ1とわかりました。

でもそこで終わりではなく、全体のどこかに転移していないかどうか、しこりの大きさはどれくらいあるのか、手術は必要か、手術方法はどういうものがいいか、などいろいろな検査や決断をしなければいけませんでした。

先生からは、しこりが左の胸に近いので 脇のリンパ節に転移しているかもしれない可能性があるといわれました。

それでも私は、「別に調べてもそこまで転移してないだろうし、心配しすぎじゃないかな」と思っていたのですが、結果として1ヶ月の間にリンパに転移があったことがわかり、ステージ1からステージ2Bにステージが変わりました。

最初手術は、「部分的に切除して治療すれば大丈夫、胸をなくさなくてもいいんだ」って結構前向きに考えていたのですが、リンパ節に転移していたこと、左の胸にしこりがあったこと、25歳でがんになったということ、をふまえて先生からは、「全摘治療を含め、その先の未来、10年後自分がどうなってるのか、というのを考えながら治療法を選択してください」と言われました。

当時、乳がんと知る前の私は、「25歳でなんて絶対死なないだろうな」とか「病気にはならないだろうな」って、ものすごく前向きに生きてきたし、25歳でがんになるなんて思ってもいませんでした。25歳で胸を一個とらなきゃいけないという選択を自分で決めなければいけないなんて・・・・

自分の中では 初めてちょっと止まって考える時期になりました。そして、どの治療方法が自分の将来に合うのか迷いました。

考えた結果、先生から言われた「10年先の未来を見て選択をしてください」という言葉が引っかかっていたので、胸を手術することを決めました。

そしてその手術後、病理検査の結果によってはいろんな治療をしなくてはいけないけど、それもしっかりと受け入れていこう、と決心したのです。

結果的にその手術で左の胸の全摘手術と、左のリンパ節を全部取る手術を受けます。

乳がんの場合はこの全摘手術をする際に再建手術というのがあります。私は、再建をする手術はまた1年~2年後に、治療が落ち着いた時に選択をすることにして、今は全摘手術に全力で向き合っていこうと自分の中で決めて手術を受けました。

無事に手術は終わり、1週間 ほどで退院することができましたが、その3週間後に病理結果が分かり、さらにステージ3Aになっていたことがわかります。

その後抗がん剤治療、 放射線治療も行いました。今はがんになってから5年目になるのですが、ホルモン療法という女性ホルモンの治療を行っています。

続けたい仕事があるから頑張れる

いろいろながん治療をしながら、絶対に続けたいと思ったことは、【仕事】です。

私は、17歳から芸能のお仕事をしていて、最初は、病気になったら仕事は諦めなくてはいけない、と思っていました。

そう思った理由は、今まで芸能人の方が乳がんで長期間休業して、治療に専念されているというのは報道でよく見ていたからです。

主治医の先生に、「仕事をしながらこのがん治療はできますか」と聞いたら、「病状もそれぞれありますが、人によっては仕事をしながら治療されている方がたくさんいますよ」と教えてくれました。

そこから私は、抗がん剤治療を続けながら、周りの方に迷惑をかけないというルールを決めて、仕事を続けています。

がんになってみなさんに伝えたいこと

髪の毛が脱毛していたので、いろんな方から 驚かれることが多かったけど、
逆にこれからは、抗がん剤治療をしているとか、髪の毛がないっていうことが他人からわからないぐらい、お化粧したり、オシャレしたりすることを続けていこう!と決めて過ごすことにしました。

当時25歳の私は、お洋服屋さんのアルバイトを掛け持ちしていたのですが、可愛くておしゃれなお客さんが来るので、その中で負けないくらいおしゃれをしてがん患者だってわからないように働いていました。

自分の努力が報われた経験があって、一度だけ美容師さんに、「髪の毛悩んでないですか?カットモデル探してるんですけど」 と声をかけられたことです♪

また、抗がん剤治療中、薬が終わったタイミングで、仕事を兼ねて台湾に5日間ぐらい旅行に行ったり、好きな大相撲場所を見に行ったりなど、好きなことを実践しました。

好きなところに行けるということが、何よりも楽しく、やろうと思えばやりたいことができるんだということを実感しました。
そして、病気だから温泉には行けないとか、なんでもできないと、やる前から決めつけることはなくなりました。

私は、乳がんになった時にNHKで乳がんについて知るための番組をずっと作っていただいていました。その中で乳がんについて他の方の体験や治療法などを学ぶことができました。でも本当はがんにかかる前に知識を持っていた方が役に立つと思います。

今日お話したことも、参考になったり、何か力になれば、と思っております。

私は今がんの治療をしていて5年目になります。

がんは10年間治療期間がありまして、私はあと5年間あります。もしかしたらその間に再発する可能性もあるかもしれないけど、
本当にやれること、自分が好きと思うことは全力投球でやっていこうと思います。

「今ある命を大切に、後悔のないように生きていこうと思います。」

矢方さんは、特に【AYA世代】と言われる若年層に、乳がんの知識を知ってほしいと、全国で講演を行っています。

しこりが見つかった当初は、乳がんの不安を一人で抱え、病気のことが分かってニュースで報道された時に初めて、おじいちゃんやおばあちゃんにバレてしまい、心配をかけてしまった経験をお話ししてくれました。

だからこそ、一人で悩まず、身近な方や家族に相談することをおススメしていました。

次回は阿久津友紀さんとのトークショーをご紹介します。

ゲストのご紹介

元SKE48 タレント 矢方 美紀さん

1992年6月29日 大分県生まれ。7年半所属したSKE48ではチームSのリーダーを務めた。2018年4月、25歳の時にステージ2Bの乳がんにより、左乳房全摘出・リンパ節切除の手術を受ける。「自身の体を知る」ことの重要性を伝えるとともに、がんになっても夢を諦めない、前向きに生きている姿を日々発信している。

現在は、テレビやラジオ出演・ナレーション・MC・講演会などの活動に加え、子どもの頃からの夢であった声優としての活動に力をいれ活動中。

オフィシャルブログ

NHK #乳がんダイアリー