忌野清志郎が歌った建設会社のCMソングに、父親の働く姿はかっこいいと褒め称える「パパの歌」(1991年)という曲がある。
実際はサラリーマン家庭の子どもが親の働く姿を見る機会はめったにないだろう。
私は仕事中の親を見かけたことが一度だけある。
二条市場近くのホテルに向かう狭い道の上だった。
父は道南の小さなまちで小学校の教員をしていた。
修学旅行の引率で札幌に行くと母から電話で聞いた。宿泊先のホテルは私が勤めていた会社から遠くない場所にあった。
父に会えると思ったわけではなかったけれど、その日の会社帰り、いつもはまっすぐ地下鉄の大通駅に向かう足が、自然に東に向かった。創成川を越え、バスセンターを越え、角を曲がってホテルの方へと進む。
当時、住んでいたのは菊水だったから、歩いて帰れない距離じゃなかったし、季節は夏至のあたりで、てくてく歩くには気持ちのよい気候だった。
まだ明るい夕暮れどき、父が泊まるホテルのある通りにさしかかると、目の前に子どもたちの一団が見えた。
背広にネクタイを締めた小柄な父が、子どもたちに声をかけながら歩いている。小規模校だったから、子どもの数は十数人もいただろうか。前後には仲間の先生もいたと思う。
私は後ろ側にまわり、電柱の陰に隠れるようにして、白髪頭の父をそっと見ていた。
子どもがなにか面白いことでも言ったのだろう。
真面目な顔をしていた父が、子どもを振り返って目尻を下げてにっこり笑う。
そしてその拍子に、後ろに突っ立っている私に気づいた。小さく手を振る私に向かって驚いたような顔をしたが、何事もなかったように子どもたちをホテルに誘導し、そして自分も自動ドアの中に消えた。ほんの一瞬のことだった。
父は研修やら研究会やらで何度も札幌に来ていたけれど、それまで私から会いに行くようなことは一度もなかったから、もしかしたら「どうした?」とホテルから出てくるかもしれないと、少しだけその場にとどまったが、自動ドアが中から開くことはなく、私は南一条大橋をとぼとぼと歩いて一人暮らしの部屋まで帰った。
歩きながら何を考えたのか、覚えていない。
ただ、仕事を辞めてはいけないと思ったことは覚えている。
本当は仕事も人間関係もしんどくて、ぜんぶ放り出して、生まれたまちに帰りたかったのかもしれなかった。
あれから20年以上経った。会社を辞めてフリーになり、結婚して出産して離婚した。
帰りたいと思うことは何度もあったけれど、結局、帰らなかった。
今は私があのころの父の年齢に近づいている。
私は、これが自分の仕事だと言えるような仕事をしているだろうか。
しんどいとき、顔だけでも見たくなるような親になれているだろうか。
日々はあわただしく、ただ時間ばかりが通り過ぎていく感じがする。
創成川と豊平川にはさまれたイーストエリア。
川のそばを歩くとほっとするのは、川が海につながっていて、私が海のあるまちで生まれ育ったからではないかと思うことがある。
豊平川に最近増えたカモメの鳴き声を聞くと、ますますその思いが強くなる。
潮の匂いはしなくても、川をくだれば海に出る。
今年の夏は豊平川の花火を見られたらいいな。
河川敷でマスクを外して、なまぬるい風の中で、だらだらと缶ビールを飲みたい。
(文と写真)
井上由美
函館生まれ。去年「進撃の巨人」全34巻を2回通読したのに、TVアニメを観たら、ストーリーの展開をすっかり忘れてしまっていることに愕然。記憶力の著しい低下に恐れおののいている50代ライター。