北海道の鉄道遺産を見に行こう
(街歩き研究家 和田 哲さん)

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和田 哲さん SATORU WADA 街歩き研究家

あるた出版「O.tone」編集部デスク、街歩き研究家。古地図や写真などから札幌や北海道の歴史を読み解いている。NHK「ブラタモリ」札幌編の案内人。HBC「今日ドキッ!」に不定期出演。O.toneでは「古地図と歩く」を連載している。

和田哲さんは、ブラサトルの愛称で知られる街歩き研究家。古地図や写真などから札幌や北海道の歴史を読み解き、雑誌O.toneの「古地図と歩く」は連載100回を超え、現在書籍にする準備を進めているとか。2015年にオンエアされたNHK「ブラタモリ」札幌編では、2人目の案内人を務めた人です。その和田さんと一緒に、札幌イーストエリアに残された歴史の跡を辿ってみました。

明治から続く、鉄道の歴史の跡を一堂に

苗穂エリアは、明治期から産業のまちとして栄え、多くの工場が建てられてきました。JR北海道が保有する苗穂工場は、1909(明治42)年、鉄道院北海道鉄道管理局札幌工場として開設された鉄道車両工場。その中にある「北海道鉄道技術館」は、1910(明治43)年に用品倉庫として建築された、現存する工場最古の建物です。日本国有鉄道がJR北海道に民営化となった1987(昭和62)年に建物内部を改修し、鉄道に関する展示資料館として公開されました。

1910(明治43)年に建てられた苗穂工場最古の建物

1988(昭和63)年「さっぽろ・ふるさと文化100選」に、2004(平成16)年“札幌苗穂地区の工場・記念館群”として「北海道遺産」に選定。2007(平成19)年には、地域活性化に役立つ「近代化産業遺産」にも認定され、2010(平成22)年には、歴史的文化価値の高い鉄道遺産として「準鉄道記念物」指定を受けました。全国から多くの鉄道ファンが訪れる、この施設。今回は、雑誌「O.tone」の編集者で街歩き研究家、鉄道や歴史に精通する和田哲さんと一緒に館内を見学しました。

館外には、日本最大の蒸気機関車C62 3号機を展示

鉄道への愛情あふれる展示物がいっぱい

自作の年表を案内する大西さんと、熱心に聞き入る和田さん

今回の案内役は、大西朗さん。旧国鉄時代から苗穂工場などで35年間務め、定年後は鉄道技術館の案内役を務めています。まず、大西さんが案内してくれたのは、北海道の鉄道に関する歴史をまとめた年表。1880(明治13)年に小樽・手宮—札幌間の開通から平成までの歴史が事細かく記されていて、これは大西さんが自ら編纂したものです。和田さんは「このような史実が時系列にまとめられたものは本当に希少。鉄道の歴史が1年ごと正確に整備されているのはスゴイですね」と驚き、大西さんは「私の自信作です」と笑います。

北海道の鉄道の歴史に刻まれた第1号機は「義経」

社員たちが手作りした鉄道愛あふれるジオラマ

次に案内してくれたのは、「振子でトライ」という運転シミュレーター。振子式特急283系の運転台で、ジオラマの鉄道模型(HOゲージ、実物の1/80)を操作するものです。ジオラマを見ると、札幌駅周辺(JRタワーや旧西武百貨店も!)から新千歳空港、駒ケ岳、大沼公園、函館の金森倉庫…と、名所がギッシリ。「車両の先頭にカメラが付いていて、映像がディスプレイに映され、運転士感覚で操作が楽しめます。これは20年ほど前、当時の社員たちが手作りしたものです」と大西さん。鉄道を愛する社員のみなさんの創意工夫が伺えます。

模型列車からの風景、駒ケ岳付近を映している

憧れのリゾート列車、そして特急の運転台に

現在でも画期的に映えるアルコンのフロント部分

「次はリゾート列車です」と大西さんが示したのは、1985年に導入された「アルファコンチネンタルエクスプレス(以下アルコン)」運転台。1980年代以降、バブル景気に伴い、日本各地で豪華なデザインのリゾート列車(ジョイフルトレイン)が登場しましたが、アルコンはその先駆け的存在。「苗穂工場が提案し、全国に広まりました」と、大西さんは先駆であることを強調します。「今見ても画期的なデザインですよね」と和田さん。初代のアルコンから6代目のノースレインボーまで、苗穂工場で改造・新製されたリゾート列車を紹介するパネルが掲げられています。大西さんが思い出絵の車両だというノースレインボーは、季節運行で唯一現在でも活躍しているそうです。

思いがあるリゾート列車の説明に熱が入る大西さん

大西さんが「乗ってみますか?」と和田さんに勧めたのが、キハ82系・特急おおぞらの運転台。1961(昭和36)年に導入された特急形気動車で、全国で広く用いられたといいます。運転台に乗った和田さんは「夢みたいですね」とご満悦。やっぱり、鉄道ファンにとって運転台は堪らない展示ですよね。

憧れの運転台に乗って、和田さんもニッコリ

奥に行くと、ミニSLやミニ除雪車などの展示があります。ミニSLはD51  237蒸気機関車の実物1/5の模型で、1951(昭和26)年に苗穂工場技能者養成所の生徒が製作したもの。実物と同じように石炭を焚いて発生した蒸気圧力で走行することができます。「苗穂工場で蒸気機関車がつくられるようになったのは日中戦争がきっかけ。1938(昭和13)年頃から中国の満州鉄道維持のため国内の蒸気機関車が不足し、国の号令によりつくられたのがこのD51  237でした。苗穂工場では、1941(昭和16)年までに12両のD51蒸気機関車が製作され、館外に実機が展示されています」。

実物と同じように走行するミニSL D51  237

一つ一つの展示に、鉄道マンの思いが込められている

苗穂工場で作られた蒸気機関車のプレートたち

館内2階には、苗穂工場や蒸気機関車などの歴史的資料・機器・写真などを展示。当時の図面や実際に使われていた技術者のための教科書、鉄道部品の数々など、膨大な量の展示があります。

あらゆる展示を丁寧に案内してくれた大西さんは、現役時代、車両の計画や管理を担当していた方。一つ一つの言葉に、鉄道への愛情が感じられます。「ここで仕事をしていると、歴史を束ねるのが面白く、年表作りは私のライフワークみたいなもの。本州には立派な鉄道博物館がありますが、ここでは私たちが手作りした展示を見ていただきたいですね」。鉄道マンが思いを込めて編集した、北海道鉄道技術館。そこには、140年以上にわたり人々をワクワクさせた鉄道の歴史が息づいています。

苗穂工場で働いていた職員たちの写真も

鉄道の夢をいつまでも

工場の設計部門で作成の外観・室内デザインパース画も

北海道鉄道技術館を見学した和田さんに、鉄道の魅力を聞いてみました。

—鉄道を好きになったきっかけは何ですか?

僕の実家は札幌の電車通にあり、小さな頃から市電を目の当たりにし、レールを走る乗り物を身近に感じていました。小学校低学年の頃、家族と車で出かけたとき、鉄道の廃線跡を見つけたんですね。そこで「鉄道ってなくなるんだ!」と知り、栄枯盛衰に興味を持ちました。

—5歳で廃線跡とはレアですね。

小学4年の頃、家が釧路に引っ越し、夏休みや冬休みに札幌へと列車に乗る機会が増えました。当時乗っていた特急おおぞら・キハ183系の角張ったカタチが思い出に残っています。新得辺りの急斜面のカーブや、山中を走っていて千歳辺りで急に開けていく様子など、ずっと外の風景を見ながら乗っていたものです。

—その後の鉄道歴は?

大学時代は東京に住んでいて、帰省するときは毎回JR。青春18切符で普通列車を乗り継いだりして、毎回違うルートで帰省していました。ときに朝早く上野を出て青森まで行ったり、お金がないので駅前広場でダンボールをかぶって寝たこともありますね。

—鉄道の旅はどういうところに魅力を感じますか?

車で旅をすると、途中の土地とは関われませんが、列車なら乗客と言葉を交わさなくても、同じ土地の空気を感じることができます。移動する最中にドアが開くと、入ってくる空気が変わる。東北に着くと、サーっと冷たい空気。北海道に帰ると、サラサラした空気。ああ帰って来たなと感じる、そんな匂いや空気の感触が好きですね。

—車窓からの風景も魅力ですよね。

本州では鉄道より先に街道ができましたが、北海道は鉄道が先で道路が後。だから、列車の旅の方がいい風景が見られるんです。札幌—小樽間の海の近くを走る風景、宗谷本線の音威子府辺りで天塩川ギリギリを走る風景、釧網本線で釧路川に沿って走り、オホーツク海ギリギリを走る…そんな素晴らしい風景をカタチにしたくて、釧網本線の鉄道唱歌をつくったくらいです。

—北海道鉄道技術館を見学していかがでしたか?

アルコンが登場した頃の記憶があり、目の前で会えたのはうれしかったですね。フロントのデザインが斬新で憧れでした。リゾート列車の時代のJR北海道には、本当にワクワクしたものです。フラノエクスプレスでスキーに行ったり、北斗星にも何度か乗りました。昔の鉄道には夢がありましたし、いつまでも夢のある乗り物であってほしいと思います。

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