後編の取材は、麻美さんが入社3 年目で中継レポーターを始めたばかりの頃に取材した苗穂の「レストランのや」オーナーの川端伸幸さんと、当時の思い出トークを繰り広げます。
麻美:のやさんを取材したのは20年ほど前。中継レポーターは、食べながらおいしさを伝えるのが難しくて、毎日涙の連続でした。中継では、確かパスタを食べたはず…。
川端:詳しい中継の記憶は薄れてしまいましたが、佐藤さんのことはよく覚えています。
麻美:素敵なお店をどう表現しようか悩みました。レポーターは、オンエア直前まで言葉のチョイスに悩むもの。その頃は20代前半でまだボキャブラリーが少なく、必死に言葉を絞り出した記憶があります。

(2階の小上がり席からの中継だったはずと、当時の記憶を思い出す麻美さん)
川端:佐藤さんはパワフルで、一生懸命やっている印象がありました。その後の活躍を見て、あのときのエネルギッシュな姿に納得。若いときの勢いがあり、意欲がある人は伸びるんだなと実感しました。
麻美:ありがとうございます。のやさんが苗穂にオープンした経緯は何だったんですか?
川端::初め「プー横丁」という店を苗穂で開業し、取り壊しで東区に移転しましたが、苗穂の方々から戻ってこいと誘われたんですね。私は札幌軟石の建物を探していて、地域の人に相談してここを紹介してもらい、2 軒目として「のや」をオープンさせました。「プー横丁」を開業した頃はバブルに向かっていて、札幌軟石の建物が壊されていた時代。札幌軟石を利用することでその流れを先延ばししたいという思いがあり、軟石の建物に惹かれていったのです。
麻美:苗穂のまちにはどんな思いをお持ちですか?
川端:「プー横丁」開業当時は古いまち。向かいは旅館で割り箸を焚き付けにしていたり、地方巡業のお相撲さんが泊まってご飯食べて行ったり、棺桶屋さん、金物屋さんなど昔ながらの店が残っていました。昔の苗穂の駅は線路が広がっていて、跨線橋が新しくなる前はちょっと猥雑な世界。子どもが小さい頃、夜汽車を見せに散歩に連れて行ったものです。
麻美:今とは違う感じだったんですね。
川端:私は恵庭出身で、苗穂に親戚がいたので、小さい頃からよく訪れこのまちに愛着がありました。昔は工場がたくさんあり、おしゃれなまちではなかったですね。「プー横丁」を開業する際、建物のオーナーに「ここで大丈夫?」と心配されたものです。
麻美:入社した当時、私にとって苗穂は未知の世界。子どもが生まれてサッポロファクトリーによく行くようになり、そこからイーストエリアのお店に行くようになりました。この辺りは、これからもっと探検したいエリア。まちの印象は、古いものを大事にしながら新しいものを取り入れている感じがします。
川端:さまざまな物事が変わっていく中で、変わらないものにホッとする。新しい建物が増えていく中で、古いものも残していくような風潮になればいいなと思います。それは個人レベルではなく、社会レベルで共有するようになってほしいですね。