思い出の場所で
アナウンサーとしての想いを[前編]

2020.04.08

SHARE
NAVIGATOR
佐藤 麻美さん MAMI SATO フリーアナウンサー

函館市出身。1998年、南山大学卒業後、HTBにアナウンサーとして入社。深夜番組「おにぎりあたためますか」で16年間MCを担当。タレントの大泉洋、戸次重幸と共に全国を食べ歩き、その数は約900食に上る。番組は東北や関東などのテレビ局約20局で放送され、ファンも多い。
2019年8月からフリーアナウンサーに転身。司会やモデレーター、トークショー、講演会をはじめ、CM出演など多岐に渡り活動中。2020年2月には親子カフェのレシピプロデュースも手掛け、ママのための疲労回復&美肌メニューを考案。小2と3歳男児の母親としては、“食と言葉のシャワー育児”を実施。幼児期から食に触れる様々な機会を作り、「やりたいことはさせる」という好奇心の芽をつまない子育てを大切にしている。
オフィシャルサイト https://satomami-official.com/

小学4年生でアナウンサーになりたいと決意

約20年間HTBに務め、2019年からフリーアナウンサーとして活躍する佐藤麻美さん。アナウンサーを志したのは、小学4年生の頃だと言います。「放送部に入り、帰りの放送で自分の声がグラウンドに響き渡るのを聞いたとき、ものすごく気持ちよく感じて、マイクを使う仕事がしたい、アナウンサーになろうと決めました」。中学、高校も放送部で活動し、母の勧めで名古屋の南山大学に入学。部員が100人を超える大所帯の放送部に入り、当時全盛だったワンレンボディコンの個性的な先輩たちに囲まれ、アナウンサー、MCの経験を積んでいきました。就職活動では、全国の放送局を受けましたが、残念ながら合格には至らず。そこで大学に残って翌年再チャレンジし、1998年HTBに入社しました。

自由な社風の中で磨いたアナウンサースキル

入社当時は、がむしゃらにできないことをできるようにクリアしていく日々でした。入社前からアウトドア番組のレギュラーが決まっていて、いきなり毎週連泊のロケに出かける新人アナウンサーとしては異例のローテーション。会社にいることが少なく、周囲からは『あいつ、なにやってんだ?』と思われていたと思います。実は、誰もが通る新入社員研修も、一部受けてないんですよ」。

アナウンサーとして新人らしからぬスタートを切った麻美さん。では、HTBとはどんな会社だったのでしょうか?「一言でいうと自由な社風。みんながやりたいことを好きにやるような感じでした。当時のプロデューサーは『好きなようにやれよ!責任はオレがとる!』という人たちが多かったですね」。なるほど、「水曜どうでしょう」や「おにぎりあたためますか」などの番組は、そういう現場から生まれていたんですね。

食レポの経験を活かして「おにぎりあたためますか」へ

麻美さんは、入社3年目に飲食店などの中継レポーターを担当。その経験が、後々に活かされたと言います。「最初は『おいしいと笑っているだけじゃダメだ!』と怒られ続けた日々。『おいしい』をどう表現するか、とことん研究しました。中継のお店が決まると、同じジャンルの本を買ったり、事前に家族で食べに行ったり、鏡の前で食べたりもしました。『おいしい』理由を伝えるのが大事。食の経験値も必要ですね」。

中継レポーターを経て、麻美さんは2003年から「おにぎりあたためますか」に出演。それは、麻美さんの人生を変えた番組だったと言います。「“おにぎり”では全国を2周しました。1ヶ月〜1ヶ月半に1回ロケがあり、1泊2日で1日5食が普通で、昔は7食の頃も。台本はほとんどんなく、大泉さんと戸次さんの喜怒哀楽を引き出すように心がけていました」。

フリーになった想いと、食を通じた子育てへの想い

2019年、麻美さんは約20年間勤めたHTBを退社し、フリーアナウンサーとしての活動をスタートしました。その想いは、どのようなものだったのでしょうか?「出産を経て、アナウンス部から編成部に異動しましたが、やはり表現者として仕事をしたいという思いが強くなり、自分の可能性を試してみたいとフリーの道へ。アナウンサーだけじゃなく、食に関する仕事にもチャレンジしたかったのです。食や子育てについての講演会に加え、最近では親子カフェのレシピもプロデュース。会社員時代にはなかった、社会との新しいつながりを実感しています」。

野菜ソムリエプロなど、食に関するさまざまな資格を持つ麻美さん。食への思いは、自らの子育てにも活かされています。「私は、男女ともに料理のできる社会になったらいいなと思っています。生きることは、食べること。自立することは、自分でごはんを作れること。子どもたちが親になったときに、奥さんと平等に生きられるように、小さいうちから料理を一緒に作っています」。

アナウンサーは仕事人、見えない努力が大切

小学4年でアナウンサーを志し、約20年アナウンサーのキャリアを積み上げてきた麻美さん。アナウンサー冥利とはどのようなものでしょうか?「たくさんの方に出会っていろんな話を聞き、いろんな価値観に出会って刺激を受け、次のステップにいくことができる。それは表現者としてのメリットの一つですね。ただ、派手な職業と思われがちなアナウンサーですが、あくまでも仕事人であることが大切。表に出る仕事だからこそ、見えない努力がものをいう。だから、私はとことん準備魔なんです」。特番前には相手のことを徹底的に調べ、台本を何十回も読み、さまざまなシミュレーションをして備える麻美さん。その蓄積が、これまでのキャリアにつながっているのです。

※この日の取材は、麻美さんが新人時代に取材でお邪魔した苗穂駅前の「レストランのや」で行われました。後編は、「レストランのや」のオーナーさんとの思い出トークになります。お楽しみに。次回更新は4/15(水)を予定しています。