YARDな風景vol.9
札幌の歴史とともに息づく
上村漢薬堂薬局

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手もとに札幌の都心部を撮影した何枚かのモノクロ写真がある。札幌の中心市街が大きく変わって行くほんの少し前。昭和30年代から40年代にかけての町並みがわかる貴重な写真だ。

昭和30年代の創成川東岸。写真のほぼ中央に「上村漢薬堂薬局」の建物。鈴木氏(札幌)撮影

この30年余り、道内各所で地域の「まち文化」を掘り起こす動きに関わってきた。札幌では中央区の本府・中央地区、西区の琴似や発寒、豊平区の西岡、北区の篠路、白石区の菊水…。吸収合併によりひたすら市域を広げてきた札幌は、実際に住んだりした場所でなければ正直よくわからないことが多い。だからこの活動は私にとっても、その地区だけでなく全体像としての札幌を知る上で格好の機会になってきた。

写真との出会いも、そのような流れの中で生まれた。菊水元町で「まち文化講座」を開いたとき、参加者の一人がかつて撮影した写真を持ってきてくれたのだ。いまだ歴史民俗系の市立博物館がない札幌では、こうした催しがまちの歴史資料を掘り起こす貴重な窓口になる。

創成川から苗穂駅方面にかけての界隈には、これまでも何度か関わる機会があった。ひとつは30年ほど前に雑誌に書いていた『北海道のあたたかい町並み』という連載。その中でこのエリアを綴った稿に「宝のねむる町」という題をつけた。まちの時層が随所に顔を覗かせるそこを歩いていたら、自然にそのタイトルが浮かんだのである。

冒頭の写真の中に、創成川東部の町並みが写る1枚があった。左下に塔の頂部のようなものが見える。かつて川の傍らに建っていた「望楼」だ。高さは43.33mで、1927(昭和2)年から65(昭和40)年まで存在。それを斜め上から見下ろしている。この位置で望楼を見下ろせるのは札幌テレビ塔しかないはず。テレビ塔の完成は1957(昭和32)年。写真は昭和30年代の町並みだということがわかった。

そのほぼ中央の角地に建っているのが「上村(かみむら)漢薬堂薬局」だ。今は4階建てだが、写真の頃はまだ2階。1929(昭和4)年に上村喜助氏が創業し、2代目猛氏を経て2006年に3代目の田中惠子さんが引き継いでいる。9年前にはじめて店に入った時は、田中さんと話している間も絶え間なく訪れる人の数に驚かされた。

店の奥に行くと薬味箪笥がずらり。古いものは創業時からあるという。年季が入った箪笥はそれだけでも見ごたえがあるが、引き出しに貼られた文字の力にたちまち引き込まれた。竜胆・竜眼肉・雷丸・陽起石・忍冬・又度…。生薬の名前だ。漢字はそのまま意味を伝えるはずなのに、どんなに見つめても像が浮かんでこない。

わかるものもあった。南天実・百合根・黒松葉・牡蠣…。植物、動物、鉱物。目的に応じてさまざまに組み合わせながら活用される。マムシやスッポン、ムカデなども乾燥したそのままの姿で出番を待っていた。「薬味箪笥には、430種の生薬が入っています」と田中さん。そのうち実際に使うのは260種ほどだという。

来店は女性が多い。「7,8割が女性。自分のことだけでなく、家族のために相談に来られたりします」。お客さんとは話をするだけで薬を処方しないこともある。「ただの物売りでなく、お客さんの健康を考えるのが一番ですから」と田中さん。マニュアルでなく、会話などを通してその人の体質、つまり根っこを診る。お客さんに最良の方法をトータルで見つけ、それに適ったものを配合するのだ。薬の服用は“煎じて飲む”から粉末や顆粒に変わってきたという。

「純漢方と根本治療」と題された上村漢薬堂薬局の昭和初期の印刷物。

田中さんが体感してきた界隈の変化を尋ねてみた。「以前、まわりはほとんどが問屋や工場(こうば)。ふだんの買い物は、生活の市場だった二条市場でした」。次第にマンションなどの住宅が増え、新たな住人も相談に訪れるようになった。古くて新しい“地域の健康相談所”の歩みは、やがて1世紀を迎える。

最初の写真に目を戻そう。そこには創成川イーストと今は呼ばれる界隈の、かつての町並みが細部まで写し出されている。三角屋根と腰折れ屋根が絶妙にまじりあい、高さもほぼそろった2階建て。独特の調和をみせるそのたたずまいは、なんともいえない美しさすら感じさせる。これが昭和30年代の札幌だったのだ。

“家傳漢方薬製造發賣元”として漢方薬の効能や煎じ方などを記した上村漢薬堂薬局の昭和初期の印刷物。

往時の札幌を語る言葉には、煤煙で黒っぽくすすけた様が殊更に強調されたものも多かったように思う。でもあらためて写真を見ると、なんだか思ったよりずっと洗練された感じ。個々の建物を見つめるうち、そこを歩いてみたい衝動に駆られた。どなたかタイムマシンを持っていないだろうか。

この界隈には今も、札幌の歩みを伝える生きたまち文化財産が、それぞれの姿で息づいている。まさに「宝のねむるまち」。その宝をこれからどう生かして行くのか。札幌人の知恵が試されている。

 

(文と写真)
塚田敏信
まち文化研究所主宰。高校教諭を経て大学非常勤講師。移りゆくまちと人のあゆみを、言葉と写真と現物で残し伝える活動としてイベントや講座を開催。現在、朝日新聞北海道版に「まち歩きのススメ」を連載中。著書に『いらっしゃい北の銭湯』(北海道新聞社)、『ほっかいどうお菓子グラフィティー』(亜璃西社)ほか。研究所では昨年、まち文化の記録誌『まち文化百貨店』を刊行。
https:www.facebook.com/matibunka/