明治からのビール史を紐解く日本唯一の博物館
折茂さんは、2007年に14年間在籍したトヨタ自動車(現アルバルク東京)から「レラカムイ北海道」に移籍して札幌に移住。以来、創成川イーストエリアに居住し、お住まいの住居は当時北海道日本ハムファイターズに在籍していた某選手から紹介されたものだと言います。「住んでいるところは、すすきのに行くにも、サツエキ方面に行くにも、とても便利なエリア。サッポロファクトリーやアリオにも行くし、イーストエリアで買い物や食事を楽しむことが多いですね」。
今回訪れた「サッポロビール博物館」では開拓使麦酒醸造所から始まるサッポロビールの歴史を体感でき、併設の「サッポロビール園」ではビールやジンギスカンを楽しめる。折茂さんは、家族や仲間と何度か訪れたことがあると言います。
チャレンジしなければ、何も生まれなかった。
サッポロビール博物館の館内は自由に見学できますが、ブランドコミュニケーターと呼ばれるガイドがつく「プレミアムツアー」に参加すると、国産ビールづくりに邁進する創業時の先人たちのドラマをスクリーンで観ることができます。日本で初めて日本人の手によるビールづくりに挑んだ中川清兵衛と、開拓使麦酒醸造所を札幌につくらせた村橋久成の熱き情熱の物語。サッポロビールに貫かれる「開拓と挑戦」の精神は、レバンガ北海道における折茂さんの闘いに通じるものがあるのではないでしょうか?
「選手としてプレーし、代表としてクラブの舵を取ることは、誰もやったことがないことですし、今後も誰もやることはないでしょう。そういう意味で、開拓であり挑戦であったかもしれません。新しい何かにチャレンジすることは失敗の繰り返し。たくさん失敗した分、成長できる。チャレンジしなければ、おそらく何も生まれなかったと思います」。サッポロビールの歴史を伝える展示を観ながら、折茂さんはこう語りました。
北海道の人たちのために、自分ができるところまで
明治政府が北海道開拓のため「開拓使」を設置したのは1869(明治2)年。サッポロビールの前身・開拓使麦酒醸造所が開業したのは1876(明治9)年。この時代、明治維新で禄を失った武士たちが全国から北海道に移住し、原野を切り開いていきました。折茂さんもまた、北海道に移住し、レバンガ北海道の誕生・発展に尽力してきた人。では、12年間で培った北海道への思いとはどのようなものでしょうか?
「レバンガは優勝したこともないし、むしろ勝てないことの方が多いチーム。それでも毎回応援してくれる人たちがいて、ファンの方々が必要としてくれていることがとてもうれしかったですね。企業チームであった前チームではファンのためというより自分のために勝ちたいという思いでやってきましたが、北海道ではこんなに応援してくれる人たちのために勝ちたいと思うようになりました。2011年、レラカムイが消滅したとき、北海道の方々に恩返しするためにチームを立ち上げましたが、経営のことが何もわからない中、本当にたくさんの支援をいただき、自分が恩返ししなければいけないのに、逆に助けていただいたという思いがある。人間的に成長させてもらった北海道の人たちのために、自分ができる精一杯のところまで頑張りたいと思います」。
最後のシーズン、勝つ姿をしっかり見せたい
10月、B.LEAGUEの今シーズンが開幕し、レバンガ北海道の新たなチャレンジが始まりました。選手として、経営者として、今シーズンに懸ける思いはどういうものか?折茂さんに聞いてみました。
「昨シーズンは、10勝50敗という散々な戦績。それでも動員は落ちることなく多くの方々に応援していただき、本当にありがたく思っています。選手としては、最後となる今シーズン、勝つ姿をファンの方々にしっかりと見せていきたい。経営者としては、クラブが成長していくためにもっと新しいことを取り入れていきたい。バスケットボールは、エンターテインメント性の高い非日常を感じられるスポーツ。子どもたちが、いつか夢の空間=コートに立ってバスケットボールをやってみたいと憧れを持ってもらえるような何かを作っていきたいですね」。
9月30日、B.LEAGUE開幕を前に、折茂さんが今季限りで現役を引退することを発表しました。前チームのトヨタ自動車(現アルバルク東京)から数えて、選手としては27季目のシーズン。レジェンドのプレーを観戦できるのは、来年の春まで。レバンガの熱い戦いを、そして折茂さんの勇姿を観にアリーナへ行こう!コートでは、夢のような時間がきっと楽しめます。