私は1970(昭和45)年生まれ。苗穂駅前で1910(明治43)年から続く酒屋カネキ小飼商店の4代目です。

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昭和・平成・令和の小飼商店外観

「苗穂の酒屋です」というと「東区なんですね」と言われますが、「中央区」にあります。
苗穂地区はJR苗穂駅を挟んで中央区と東区に分かれますが、もともとは一緒で、1972(昭和47)年に札幌市が政令指定都市になった年に中央区と東区に分断されたそうです。ちょうど冬季札幌オリンピックが開催された年。オリンピックを契機に地下鉄などインフラが整備され、都市としての機能が良くなりつつ、市電苗穂線が廃止されるなど、その頃は苗穂の転換期だったのかもしれません。

思えば私が高校時代(1986(昭和61)~1988(昭和63)年)、苗穂駅前は今まで軒を連ねていた食堂や市場、運送会社なども徐々に閉店や郊外に移動し、空洞化が進みました。幼少期のような活気はまるでなく、時が止まったような状況。札幌中心部から近いにも関わらず、取り残された印象を感じていたのは私だけではないはずです。

そんな中、父から驚きの話を聞きました。「英祐、苗穂駅がうちの店の目の前に移転する話が決まりそうだ」と。それから30年あまり、JR苗穂駅は私が経営する小飼商店の真正面に移動してきました。現在再開発で新しい街に変わりつつある苗穂。しかし、苗穂は歴史あるノスタルジックな風景も街の魅力だと感じています。幼少期の頃の苗穂駅周辺はどうだったのか、昭和後期にちょっとタイムスリップし、印象に残っている場所をご紹介したいと思います。

●小町市場
場所は南郷通と国道12号線交点・ファミリーマートあたり(中央区北1条東10丁目付近)

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残念ながら小町市場の写真が手に入らず、空中写真より

※出典:国土地理院撮影の空中写真(1985年撮影)

1970(昭和45)~1980(昭和55)年頃、私が小学生当時は今のスーパーマーケットのような感じで、あらゆるものが揃っていたような気がします。中に入ると、所狭しと両サイドに薬局、肉屋、鮮魚店、八百屋、駄菓子屋…などの店が並び、今思えば大変デイープな界隈でした。特に駄菓子屋は、小学生の時は小町市場へ行って、遠足のおやつを買った思い出もあります。ちなみに当時の遠足のおやつ代は200円まで。お菓子が一つ10〜30円のものを買って、袋いっぱいにして学校へ持って行った記憶が蘇ります。賑やかだった小町市場は、南郷通につながる水穂大橋の建設(1986(昭和61)年完成)と道路拡幅工事のため、店子は少しずつ減って活気のあった印象から徐々に寂しい市場になり、その後立ち退き・撤去されました。

●苗穂駅の歩行者用跨線橋(1954(昭和29)年頃~2017(平成29)年)
現在の新苗穂駅(中央区北3条東11丁目付近)

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近年まであった中央区と東区をつなぐ跨線橋

現在の苗穂駅が建てられる前、旧苗穂駅には歩行者用の跨線橋がありました。人が往来するくらいの幅しかない橋でしたが、苗穂駅の北側にお住まいの方はこの橋を使わないと改札に入れなかったので、利用した方もかなり多かったと思います。私が通った高校は、この線路を越えた東区にあり、毎日のように遅刻ギリギリに出て急な階段を登り、走って通学した記憶を思い出します。記憶は定かではありませんが、母から聞いた話によると、幼少期に私はよくこの跨線橋に登り、顔中黒煙だらけになって汽車を見ていたそうです。当時はSL(蒸気機関車)によって跨線橋の手摺や網目は煤だらけだったのでしょうね。

●苗穂駅周辺の街並み(昭和後期)
苗穂駅~小飼商店付近(中央区北3条東14丁目~11丁目)

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昭和の時代、苗穂にあった「札幌製菓」の建物

私が子供の頃(1980(昭和55)~1988(昭和63)年頃)、苗穂駅周辺はとにかく平屋建ての長屋が多くありました。周辺にはさまざまな店や施設があり(運送貨物、ガソリンスタンド、米屋、洋装屋、種苗屋、郵便局、銀行、靴修理、金物屋、ジンギスカン屋、パチンコ店、質屋、床屋、スナック…など、数え上げるときりがありませんが)、小さなまちとして機能していたように思えます。中でも印象に残るのが、駅周辺に3軒の旅館があったこと。マルモ旅館(北2東12)、苗穂旅館(北2東11)、旅館 高東館(北2東11)の3軒ですが、1975(昭和50)〜1985(昭和60)年頃は日雇い労働や大相撲の巡業などに、この辺りの旅館が利用されていたようです。

酒屋も今では小飼商店1軒ですが、当時は小林商店(現・弁当ショップシミズ/北2東11)、木村商店(セイコーマートを経て駐車場に/北1東11)、サンショップ平田(現・テナントビル/北2東11)、藤沢商店(2020年に閉店/北2東8)、佐藤商店(セイコーマートからマンション、テナントビルに/北2東8)、佐瀬商店(セブンイレブンから現・串鳥/北2東7)、小飼商店(北2東11 )と7軒ほどの酒屋が点在。酒屋はコンビニの台頭でかなり淘汰されたのだと思います。

●札幌軟石の石蔵の質屋〜レストランのや(現在閉店・移転)

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昭和の頃、新川倉庫を利用して営業していた「プー横丁」

小飼商店の裏手にあった「レストランのや」は、再開発の影響により今年6月に閉店となりましたが、この場所は私が生まれた頃は質屋として営業していました。1983(昭和58)年頃まで営業していましたが、その後しばらく空家に。一方、苗穂の新川倉庫(軟石倉庫)で1985(昭和60)年より営業していた「プー横丁」は、1992(平成4)年、取り壊しにより現在の東区・開成中等教育学校の近くに移転。しかし、オーナーの川端さんは苗穂にある軟石倉庫にこだわりがあり、1998(平成10)年、空家となっていた小飼商店裏の軟石倉庫を使い「レストランのや」として営業を開始しました。レトロな建物や設え、懐かしさを感じるメニューなど、どこかホッとする空間が愛されたレストランでした。今後は「のや2nd.」として北12東5でカフェを営業し、軟石倉庫部分については平岡エリアに移築されます。軟石倉庫は壊されることが多い中、残していただけるのは本当にありがたいです。

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元質屋だった建物は小飼商店の真裏にある

「レストランのや」の歴史などに関しては、オーナーの川端さんと街歩き研究家で雑誌O.toneデスクの和田哲さん、私小飼がトークセッションを行っています。詳しくはこちらもご覧いただければ幸いです。

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質屋時代の屋号と思われる紋が残っている

時代が平成に入る頃、地域住民から苗穂駅の北口開設・移転要望があり、まちづくり活動から「苗穂駅周辺まちづくり協議会」が発足し、現在の苗穂駅が誕生したことは言うまでもありません。本当に先人たちのご尽力のおかげと存じます。私も微力ですが、若い近隣住民の皆さま・協力してくださる方々とともに「naeboでasobo」を発足しました。

苗穂は昔の風景を残しつつ、新しいものと融合できる街並みがあり、若い方々が物つくりや芸術など自由に起業できる環境になると面白いのではと考え、支援・協力していく所存です。これからの苗穂の風景がどのようなカタチになるのか、地域に住み関わる方々の想いや考えでいくらでも広がる可能性があります。ぜひ、苗穂の変化を楽しみにしてください。

 

(文と写真)
小飼英祐
カネキ小飼商店代表取締役社長。明治43年から続く酒屋の4代目。北海学園大学土木工学科卒業後、土木設計などを経て、父の他界後、実家である酒屋を継ぐ。食と酒のマリアージュを信条とし、「売れる酒より売りたい酒」を揃え、「マニアック酒屋」と呼ばれることも。 苗穂駅周辺まちづくり協議会理事、苗穂駅周辺地域での若手起業家と住民で発足した「naeboでasobo」リーダーを務める。令和元年度札幌市さっぽろgood商い賞グランプリを受賞。

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※掲載の写真はブログ「札幌時空逍遥」から引用