青じろい骸骨星座のよあけがた

凍えた泥の乱反射をわたり

店さきにひとつ置かれた

提婆のかめをぬすんだもの

にはかにもその長く黒い脚をやめ

二つの耳に二つの手をあて

電線のオルゴールを聴く       

宮沢賢治「ぬすびと」(『春と修羅』)

 

1922年(大正11年)3月2日、宮沢賢治が25歳のときの詩である。子どもの頃に『銀河鉄道の夜』に挫折してから、私は賢治にずっと苦手意識があった。しかし大人になってから、『春と修羅』をはじめとした詩や、学生時代に盛岡中学の先輩石川啄木の影響で作っていた短歌を読んで、彼のその幻想感覚がなんとなく理解できるようになってきた。そして賢治の詩や短歌を読んだときに思い出したのは、1993年(平成5年)にサッポロファクトリーが開業したときに一緒にオープンした、「天体工場」という施設だ。

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確か現在のレンガ館の2階にあった。サッポロファクトリーがサッポロビールの札幌第一製造所の跡地を利用してつくられたことは有名だが、その中でもレンガ館は明治時代からの赤レンガをそのまま使っており、レンガの敷き詰められた壁と通路はレトロな雰囲気を保っている。「天体工場」は古いビール醸造所の機械室と麦芽倉庫を再利用し、ビールの製造過程をそのまま「星」を製造する過程に見立てて「星の工場」という設定にした、ファンタジックな小型テーマパークだった。オープン当時小学生だった私は、きっかけはもう忘れたがとにかくこの「天体工場」を訪れた。そしてその幻想的な世界観に不思議な感動を覚えた。プラネタリウムとは一味違うロマンティックな空間だった。機械で占いをしたことがなんとなく記憶に残っている。

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かつて「天体工場」が入っていたあたりの通路

ここを訪れた思い出は長らく脳の奥底に仕舞われて忘却されていたが、大人になってから賢治の詩によってふいに呼び起こされた。小学生の頃の私は、別にそれほど童話やファンタジーにのめり込んでいたというわけではなかった。天文少年だったわけでもなかった。ただ、レトロなものはきれいだという印象を生まれて初めて抱いたのが「天体工場」だったので、その後の人生に少なからずの影響を及ぼしたと言えなくもない。『銀河鉄道の夜』だけはいまだにピンと来ていないが。

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「天体工場」の入口だった、星の散らばる真鍮色の扉

「天体工場」はあまり客入りがよくなかったようで、オープンしてから数年のうちに閉館してしまった。今では覚えている人も少ない。しかしサッポロファクトリーには、今も「天体工場」の名残りが少しだけみられる。レンガ館と3条館をつなぐ通路には、かつて「天体工場」の入口だった真鍮色の扉が残っている。扉には「キッズパーク」の受付を示すプレートと、「関係者以外立入禁止」のステッカーが貼られて、重たく閉ざされたままだ。扉に散らばる星のマークが、「天体工場」のわずかな名残りである。その横のレンガの壁には長方形を描く4つの穴があいているが、これは「天体工場」の入口の看板の跡だと思われる。

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扉の横の、看板が刺さっていたとおぼしき4つの穴

かつて「天体工場」だったところは現在無関係のテナントがいくつか入っているが、天井の配管や小さな螺旋階段の飾りなどには、今もスチームパンクの香りが残っている。螺旋階段には「事故防止のためこの先立入禁止」というプレートが掲げられ、鎖が巻かれている。

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現在は立入禁止の、螺旋階段の飾り

レンガ館の入口には樽の形を模した観光バス駐車案内所があって、年季を感じる木肌をみせているが、これは「天体工場」の券売所として使われていたものだったような記憶がある。また、現在もサッポロファクトリーの各館内にいくつか吊るされている、歯車などをあしらった巨大な鉄のオブジェも、もともとは「天体工場」のものだったと思う。一番わかりやすい「天体工場」の名残りはそれだろうか。

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レンガ館の入口に置かれている「天体工場」の発券所らしき台

今となっては広大なWeb空間にも、当時の写真などはほとんど残されていない。演出を担当したイエローツーカンパニーという企業のホームページにかろうじて6枚だけ写真が残っているが、そのうちかすかに記憶にあるのは、6枚目の不思議な模様の描かれた、手をかざすことのできるガラスのオブジェくらいである。ただ、今見てみても素敵なデザインの空間だなと素直に思う。現代だったら、このアートワークは当時よりもずっと人気が出ていたような気がしてならない。

当時はとうぜん知らなかったが、「天体図書館」というコーナーのアートディレクションを担当した小竹信節という人は、寺山修司の劇団「天井桟敷」の元美術監督らしい。記憶の中に封じ込められたあの機械とカラクリでいっぱいの世界は、後年になってから観ることになる寺山演劇の舞台美術と、確かに似通っている。おそらくは客の大半の心をつかまなかったのだろうこのテーマパークの、寺山修司的な部分を感受した結果、回り回ってこうして短歌をやっているのだから不思議な因縁である。

(文と写真)
山田航
歌人。1983年札幌市東区生まれ、北区育ち。歌集に『さよならバグ・チルドレン』『水に沈む羊』、エッセイに『ことばおてだまジャグリング』。